いっぷく
すっかりなまくらになってしまった。もともとがそうであるけど、なにをする気もおこらず、これまでのように気がるに外に出歩くこともできない。家にいるとなにしろこの暑さで動くのもめんどうになり、イスにすわり足をテーブルに投げだすのが定番のスタイルになった。
そんなことでも朝のラジオ体操だけは欠かすわけにいかないが、そのときのようすがいつもとちがう。これまでだと少なくとも数分まえには集まってそれぞれの位置で待つのであるが、このごろはみなベンチなどに腰をおろして待機している。
ふつうはよく疲れたりひと仕事をして途中でいっぷくするようなことがある。それがまだなにもはじまらないさきからいっぷくしている。なにもしなくともとにかく立っているだけでも大へんなのだ。いうなればいっぷくがいっぷくで終わらず、常態化していることのようだ。
ともあれ、郵便局にいくついでに阪神尼崎まで往復することになった。昼どきなのでうどん屋できつねうどんを食べ、ひさしぶりにあたまもカットしてもらってスッキリした。商店街は涼しいことを期待したのだったが生ぬるく、かえりの家までの道のりがことのほかとおかった。
ところで先日身内のひとりが亡くなった。数年前に脳こうそくで倒れたあとリハビリでがんばっていたが、だんだんと弱りついにその生涯を閉じた。なんでも10人兄妹の8番目、2才のときに父親が亡くなり、苦労がたえなかったようである。
それでごく近親だけの葬儀では年もとしだし悲しみよりも、ご苦労さんとねぎらいのことばが聞かれるようでもあった。ただおどろいたのは二度の用意された食事にしても、まるでホテルでディナーを楽しんでいるような、そのもてなしが至れりつくせりであった。
お葬式の形態も変わりつつあるようで、あまりに儀礼的にすぎるのは論外としても、ただ故人にかかわる兄妹夫婦だけ、いわば年よりだけが参列するだけの葬儀であった。まわりへのとくに若い人たちへの配慮からでもあるが、いくらか閉鎖的であったことはいなめない。
はてさて、いっぷくということであった。けっしてそれで終わらず、また立ちあがることでもある。なにしろこの暑さではしばらくは息ぬきをしてつぎに備えることでもあるし、まして死ということではなおさらである。もちろんクスリのことであるはずもない。
息してるもうそれだけでまか不思議
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