おのずから

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春の陽気のせいか体といえば気だるいし、気分も下むきになってなにをする気もおこらない。それであって、おのずから、というそんなことばがふいにうかぶ。強制されてでもない、義務感からでもない、自発的にむくむくとつきあげてくるようななにかであるのだろう。でもそれを待っていては、いつまでたってもことがはじまらない。

それでしきりに思いめぐらしていたら、おのずから、のソースは口語訳の雅歌の一節だった。「愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように。」、もちろんピントはずれではあっても当たらずとも遠からず、愛といえばいろんなかたちをとることであるし。

ところで梅雨いりだそうだけど、まわりから持ち物がつぎつぎと消えていくことがある。老眼鏡であるならほんとだと数えきれないほどあるはずなのに二つ三つしか目にすることがない。帽子もしかり、お気にいりがすぐにみあたらなくなる。それにとても気にいっていた腕時計がなくなった。ないと不便なこともあって百均じゃなくてコーナンで廉価なものを買ってくる。

バンドをスチールのものに取りかえれば高価な時計とくらべても見劣りしない。ただバネ棒を抜きさしするだけなのになかなかはかどらない。以前だったらぞうさもないことが手先がふるえるし、目はぼんやりしてはっきりしない。それでも時間をかければできないことではなく、まるで高級時計のように変身した。

そういうことでなくて、先週は老人クラブの旅行で下呂温泉にいっている。それに写真もたくさん撮したことだし、ブログの更新の材料に不足することはないはず。景色であるとか、めずらしいところを観光したとか、ワイワイと楽しいことであったし、なにしろバスにつれられて、上げ膳すえぜんのもてなしをうけたことでもある。

最初におとずれたところはなにやらタイルの発祥地でもあるのか、その記念館というのかの巨大な建造物がユニークで見とれてしまった。写真で見るとたんに砂が積みあげられているようなのが、じっさいはすこし側面から見たら立体的で圧倒されるようだった。これを背景に集合写真を撮ったのはいうまでもない。

温泉につくと、もちろん夜には宴会ということでカラオケで大盛りあがりである。なにしろ今回の旅行のゆき先の決め手がドリンクの飲み放題だった。酒も飲めず、歌をうたえとすすめられてもどうにもならず、ただただ手をたたきカメラマンに徹したのだった。賛美歌では場ちがいのようだし、六甲おろしぐらいだったらうたえるかな。

旅館の部屋からの展望もすばらしくて見とれてしまう。朝はやくにもやのかかった新録の山肌を見ながら河川敷を散策し、また坂をのぼって温泉街をぬけると、どういうわけか橋のたもとにはチャップリンの銅像があった。あと中山道の妻籠宿を歩き、なん年かまえに馬籠宿を歩いたことを思いだした。

得意わざ座ったままでこくりさん

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