そんたく

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ようやく春がきたということだろうか。つぼみでしかなかったさくらがパッと開いて暖かい季節の到来をを告げるようでもある。天気予報ではあすから数日は雨がつづくらしい。だったらということでウオーキングにでかけたのだった。沿線散歩のマップから阪神の九条駅から梅田までのわずか5キロほどの距離にすぎない。

それが地下の駅から外にでたのだけど右も左も方角がまったくわからない。とりあえずは1キロほどありそうなながい商店街のなかを歩きはじめる。どうやらそれがまちがっていたらしく反対方向にむかって歩いているようだった。コースの中間ぐらいにある靱公園があり、そこを目ざしてなんども通りがかりの人にたずねながらなかなかたどりつけない。

直線距離にして3、4キロほどのはずがなんと3時間近くをさまよう。それにスマホのマップでなんども現在位置をたしかめることでありながら、なんの役にもたっていない。やっと見つけた靱公園でパンの昼食をとり、そこからは梅田まで30分ほどしかかからなかったのだ。それにしてもまったくの方向おんち、まい子状態になったことがなさけない。

そうしたことはべつとして、すこしまえには保育園や小学校の卒業式があった。それにつづいてさくらがまさに満開のいま、今度は入学式があって光栄なことにそれに参列することであった。そのなかのメインということでは校長先生のおはなしがそうなのかもしれない。仲よしになる、先生のはなしをよく聞く、自分のことは自分でするの3つだった。

それらはなにも新1年生にかぎらず、先生のはなしを聞くのを人の話を聞くことにすれば、人としてとうぜんのことにちがいない。ただそうしたことがわかっていながら、おろそかになったり、守れなくて反対の行動をすることでもあり、だからこそあえて教えられることでもある。

ところで小学校のことでは、なにやら学園とかの創設をめぐっての話題がかまびすしくそのいきさつから、なんでもそんたくということばが流行語になっているらしい。これまでにそんなことばを聞くことはあっても、ほとんど意にかいすことはなかったのである。辞書によると、人の心中をおしはかること、とあった。

そうであるなら他者への思いやりというか、まさに人としてのありようを具現することばでもあり、なんとも奥ゆかしいことではないか。なのにそれが腹黒い下ごころであったり、計算づくの私腹をこやすことでのおもんばかりであるとすれば、本来とはことなるその落差のへだたりはいかばかりか。もはやそんたくではなく損得の背徳にほかならない。

あいかわらず遠くにでかけては道にまよったり、電車に乗ってはキップをなくしたりしている。そんなしくじりはともかくとして、老いることはある意味、もう一度ピカピカの1年生のような童心にかえる可能性もなきにしもあらず。なにはともあれ、少なくともそんたくを自分勝手にはきちがえることがあってはならない。

待ち人は思いちがいでべつの人

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