歳月

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もう1月も半分が過ぎてしまった。それに今日は阪神大震災の日から17年目を迎える。そんなにも前のこととはどうしても思えない。あの日の記憶が鮮明に残っているからかもしれない。

芭蕉の「月日は百代の過客にして」ということばがあるけど、「光陰矢のごとし」のことわざと通じるところがあるのだろうか。それほどではないにしても、どうやら旅人のように足早に過ぎていく。

ところが昨年の東北の空前絶後の大震災はもとより、なにか大きな事件や出来事があったら、あまりの衝撃にあたかも時間が止まったような感覚をおぼえる。

おそらく、月日の経過は苦難のときにはいらいらするほど遅く、歓喜のときには飛ぶように進むのだろう。少なくとも、平穏無事な日々のくり返しもまた速いのだ。

それでいけば、歳月のスピードが速いほど望ましいのかもしれない。とはいえ、いたずらに無為に過ごして得ることがあるはずもない。日々の歩みに、きびしさや緊張感もなくてはならない。

話は全然変わるけど、大相撲初場所の半ばが過ぎた。あまり熱心にテレビを見ることはないけど、途中から見たりする。それで「1年を20日で暮らす良い男」ということばが浮かぶ。

今は20日どころでなく、6場所で90日になるのだろうか、ずっと取り組みが増えている。それでも良い男にはちがいがない。なにしろ、勝負はあっという間につくのだ。

平均すれば10秒にもならないだろうか。1年に換算してしても15分だ。失礼ないい方になるけど、こんないい商売、いや仕事はほかにない。土俵上の時間にだけかぎればだけど。

もちろん、それは表向きであって、背後には普段のけいこが凝縮されているのだ。おそらく激しい過酷なほどのけいこを強いられることで、まさにいのちを張っているのだろう。

それにあの立ち会いの一瞬がある。ピストルの合図ではじまるのでもなく、呼吸が合うというように、みごとに同時に立ち上がる。互いが相手に合わせることによってのみ成り立つのだ。

あのせまい土俵もだしある意味、世界の縮図でもある。瞬時に終わる勝負もときに力士にとっては、それが何か月もの歳月にたとえられないだろうか。

平々凡々の日々にあっても、ときに濃密で有意義な時間や月日が不可欠なのかもしれない。少なくとも、ひまをもてあますような毎日だったら、あとあと悔やむことになるのはまちがい。

タイタニックとは似て非なる

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