何才まで

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いつのころからか年上の人たちがだんだんいなくなり、そうでありながら気がつけばはまわりは高齢者ばかり。というのもなにかと年齢を気にすることが多くなり、ひとに会えばまず年齢を聞くことであり、新聞の投稿欄などではいちばんにそのひとの年齢に目がいく。

とくに有名人の訃報の記事やお悔やみ欄であったりすると、経歴であるとか病名もそうだけど、なにより年齢がビューポイントであって、名前とともにこれがないと記事にならない。ひとがいくつまで生きたということは、とてもとても大事なポイントであるのだ。

ひとつは人生の先輩がいなくなることであって、これまで風よけになってくれていたのに、いきなりまともに風あたりが強くなったようなことかもしれない。いたって心許ないことであり、ときには助言をくれたり、叱ってくれるひとがいなくなったことでもある。

べつなことでは怖いものがなくなったということもある。好きほうだい、自由気ままにふるまっても文句をいうひとがいない。なによりも人生の経験をながくつんできたことであり、その質はともかくながく生きたということでは胸をはることができる。

そうでありながらひとそれぞれなのだろう。怖いものがなくなるどころか、いつもビクビクなにかにおびえている。もうじゅうぶんに経験をつんだことでありながら、困ったことが起きるとどう対処していいかわからず、オドオドするばかりだったり。

なんでもないことであるけど、イスにすわるとたいていは足をくむことであり、そのほうがずっとらくでリラックスできる。それがたとえばかしこまった席などであると、やはり失礼かなとおもってみたり、そんなことで気になったりすることがある。

少しまえ長崎の被爆者代表が日本のトップに「あなたはどこの総理ですか」といって話題になった。たぶん時代がちがっていれば、たちまち「無礼者!」といって首をはねられたことだろう。そういうことでは、世の中いくらか進歩していることではある。

はからずもこの夏、身内と目上のひとのお葬式があって喪服を着ることになった。弔いの席ではさすがに足をくむことははばかれたけど、もうそんなことにこだわることもない。なにしろ、いつあちら側に横たわらせられることになっても、おかしくないからである。

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