うんこ

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びろうではあるけど、これが出るかでないかで一日の良しあしを左右するといっても過言ではない。ただよる年なみの老化によって変調になってきたことはしかたがないが、とにかくなにをもってしてもなおざりにできないことであり、ものごとの道理であって入ることがあれば、出ていくこともなければならず、きわめてわかりきったことである。

ただそうであるのに、入るほうは意志である程度コントロールできることがあっても出るほうはおもうようにならない。それでなんとしてもため込むことがあってはならず、朝はとくにこのために時間を使うことにもなり、目的が果たせないことがつづくとときにクスリにたよったりもする。

こうした大切なことでありながら、ふだんはきれいごとにして話題にすることもはばかれることであり、とくに食事どきなどではタブーになる。いつのころからか水洗トイレというのが登場して以来、まさにクサいものにふたのたとえどおり、すぐにも水にながすことであり、臭いすらかぐこともなくなってしまった。

なにしろさほど遠くないころにして、新聞紙がトイレットペーパーであってふん尿のニオイがぷんぷんしていたのが隔世の感がいちじるしく、もうあのころにあと戻りはできない。存在そのものはそのままであるのに、まるでマジックのように隠されたというか、みごとに排除されてしまっているかのようでもある。

とはいえどうやら、うんこ、うんち、おならなど口にするのもはばかられるのは大人だけかもしれない。というのも「うんこ漢字ドリル」とかが子どもに大うけして、それで勉強がはかどるのだという。たしかに子どもは排泄物をことさらおもしろがったりするし、とくに男子はいたずら心がくすぐられるのだろうか。

そういえば少しまえまでにはオムツをしてたれ流しであったのだし、子どもにとってはそれほど汚らしいものではないのかもしれない。少なくとも毛ぎらいしたり、タブーなことであるはずもなく、下品なことではあってもとても生存にかかせないゆかしさというか、そのミスマッチがたまらなくいとおしいようでもある。

そういうことはさておき、子どもの好奇心から学習意欲をたかめるということでは教育にとってとても有効で、いろんなことにおいてのヒントとなるにちがいない。たとえば歴史の年代をおぼえるのに語呂あわせをしたり、英単語においてもしかり、ちょっとちがうかもしれないが、いろんな工夫でかた苦しいことがそうでなくなる。

なんでも朝に食事をしない子が少なくないらしく、親といっしょで夜型の生活習慣になっているともいう。それでどこかの小学校では「朝ご飯、朝うんち」が標語になっているとか。ともあれ、食べることにしても出ることにしてもそのバランスがとれてのことであり、それがまた健康状態をしめすパラメーターであることはいうまでもない。

飲みくいが生きがいのよう老いてなお

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