メンタル

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朝の食事をおえて新聞をよんでくつろいでいると電話がかかる。先日べつの用事でキャンセルした地域の会合があって、そのときの資料があるのでどうしましょうかとのこと。じゃー、いまからすぐに受けとりにうかがいます、と返事をする。支所まで歩いてもいいが、早いほうがいいだろうと自転車ででかける。

それがなんと数百メートル駅前の信号待ちをするまでに、なん人もの人と立てつづけに出くわしてあいさつすることになった。そのうちお二人はグランドゴルフにゆかれる途中であり、ただ声をかけるだけではあっても、なんとなくさい先のよい一日のはじまりに感じられたのである。

ふだんはべつに顔がひろいわけでもないし、人とのかかわりもできたら避けたいほうである。それがたまたまなん人もの人たちと朝のあいさつすることになって、なんとなく快感をおぼえたことでもあった。それにゆき先ではふつう事務的なことであるのに、このときにかぎってコーヒまでだしてもらえる接待までうけたのだった。

どちらかというと、ねくらというか外にでて人前にたつより家にこもって好きなことに没頭しているほうがいい。ほんとはだれとでもよい関係でありたいのに、ときには気まずいことになることも避けられない。そうすると気持ちがゆらいで上むきになったり、気がつけばメランコリーに落ちこんでいたりする。

だれにしてもちょっとした人の親切や好意をうけたりするとうれしいにちがいない。ぎゃくに無関心や冷たい扱いをうけたりするとわだかまりが生じてしまう。なんでも人には承認欲求というものが根づよく、それが満たされないことで知らずしらずにフラストレーションがたまるのだろう。

というのも多感な青年と哲人との会話からなる「嫌われる勇気」という本をいま読んでいる。なににしても過去のことにとらわれず、目的論というようにどんなときにもまえ向きに生きるということのようである。なにしろ哲人は鉄人にもつうじて、メンタルにおいてどんなことがあれ、動じることもゆらぐこともなく、うらやましいかぎりである。

そうしたことはともかく、新聞にタイトルが「あ」とあるジョークが載っていた。歯医者でつぎの予約が2か月さきになるという。患者である年配の男性はそれでは困るというふうに「痛くなったらいつでもきますよ」とこたえる。するとどうしたことか受付の女性は恥ずかしそうに下にうつむいたという。

あいかわらずあたまの回転がにぶいこともあってすぐにジョークの意味がわからない。でもどうやら女性は「痛くなったら」というのを「会いたくなったら」と聞きちがえたらしい。たぶんそれを本気でうけとめたとはおもえないが、すくなくともいやな気持ちはしなかったのだろう。

祭日で連休なのに予定なし

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