ナッジ

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東西線の電車に乗ってのかえり出入り口そばの座席にすわっていると、お母さんと小さな子どもふたりが乗ってきた。すこし離れたところに空席もあったし、なんとなくつぎの駅にでも降りそうなようすでもあった。へんに子どもを甘やかすのもよくないことだし、席をゆずるにしても面倒で見ぬふりをしていたのだった。

しばらくすると別のところにすわっていた同年配ぐらいのじいさんが、子どもにむかってこちらにおいでと手まねきしている。するとすぐさまそれに応えて子どもふたりがゆずられた席にすわったのである。いっけんとてもほほえましい光景であるが、ただ目のまえにいて知らんぷりをしていた身にとっては複雑きわまりない。

まだ幼い子どもがゆれる電車のなかで立っているのだから危なっかしいことでもある。近くにすわっていながら、どうして代わってあげなかったのだ。そんなとがめるような声が聞こえないでもなく、なんとなくバツがわるいことではあった。とはいえ親切の押しうりのようなことはしたくないし、と言いわけがないでもない。

くだんのじいさんはとても子ども好きのようでしきりに子どもに話しかけている。たぶん自分の孫との区別がつかないほどなのかも。それにしても公衆のなかであってとっさに困っている人に声をかけ、助けぶねの行動をとれる人は見あげた人であるにちがいなく、ちょっぴり反省させられたことでもあった。

ところで、たまたまテレビでマナーとかルールについて話している番組があった。なんでもマナーとは相手の立場にたっての思いやりであり、ルールになるとそれをいくらか明文化して多少の罰則の規定がともなうこと。マナーは礼儀でもあるし、よろいのようにいずれ自らの身をまもり互いのプラスになる、というようなことだった。

そもそもマナーがいいとかわるいとかいっても自主的なことだし、いくらルールをつくってもそれが守られなければなんの意味もない。さらにそれの違反に罰則をもうけたにしても、すくなくともマナーの延長線のことであるなら、それが守れないからといって犯罪にとうことほどのことでもない。

それでマナーをよくするための第3の方法が紹介されていた。なんでも「ナッジ」といって訳すと、ひじでつつく、うながすということであるらしい。信号にカウントが表示されれば、だれもがイライラすることもない。便器の標的のマーク、エスカレーターに足跡のしるし、元気な人は階段を利用するようにしむけるなどがそうらしい。

文字どおりにはじめのことであるけど、もしだれかがひじでうながしてくれていたら、喜んで席をゆずっていたことだろうし、それがごく自然にふるまえたはずである。なににしても気づかないことがいっぱいあって、近くにさりげなくひじで教えてくれる人がいたら、きっと安心でき心強いことであるにちがいない。

すわりたいたまにあるけどすわりたい

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