願いごと

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願いごとを紙に書いてササにくくりつけると、ほんとに願いがかなえられるというのだったら、ここに長蛇の列ができているにちがいない。と書きながらほんの少しまえには長い列ができていたのだろう。ゆわえられている短冊の数をみても相当数の人が書いている。たしかに願いがかなえられるとは書いていなくて、書いてくださいというだけだし。

とはいえ書いてくださいとあるからには、だれもがいくらかのなにかを期待するのではないか。しかも無料であって自由にとあるから、なんでもよくて制限がなく、これほどに大判ふるまいのできすぎた話はどこにもない。といってもまさかのほら話でもないようだし、それに書いて損をすることはなくダメもとということもある。

それにしても説明不足ではないのか。せっかくリクエストにこたえて願いを書いたのだ。書かせておきながら、あとは知ったことではないというのでは、あまりにも無責任すきる。たとえばアンケート調査のためであるとかだったら、それに協力をしたということで納得できる。

それになかにはほんとうに願いがかなえられることを信じる無垢な人もいるはず。そんな人のために、短冊に書いたからといってかならずしも願いごとがかなえられるとはかぎりませんとか、当方はそのことに関していっさいの責任を負えませんとか、なんらかのことわり書きがあってこそ親切というもの。

もとよりそんなことは100も承知のうえのことであるのだ。たしかにどんな願いごとも心に秘めているより、口にすることではじめて可能性が広がり、心のうちを明かすことでスッキリすることもある。はたまた欲求不満のはけ口として、そんなチャンスを提供しているのであればわからないでもない。

とはいえなんだかんだいっても、七夕は古来からのこの日だけの年に一度の季節の行事でもあるし、はるか天体の星をめぐる広大な夢とロマンがあふれためったにないチャンスでもある。そうしたことであるのにくだくだといちゃもんをつけたりしたら、無粋きわまりないというそしりもまぬがれまい。

というのも願いごとといえば、日ごろから多くはささいなことであるけど、人から頼まれたり頼んだりすることがよくあって、きわめて卑近のことであるからである。そうしたことでできるだけ人の役にたちたいし、一方ではできるだけ人をわずらわせたくないといったこともある。その事柄にしてもハイからローまでさまざまだ。

もちろん個人的にほしいものがいくらでもあり、だれとでも仲よくしたいし平和な世界を願わずにいられない。病気でふせっている人たちが一日でもはやく元気になって、だれもが健康でしあわせな日々を願う。若い人たちにとっては入学や就職、結婚などなどは目前の切実なテーマでもあり、もはやそれらは願いというよりせつなる祈りである。

はじめからあいもかわらぬ選挙あと

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