転倒

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はーるよこいはーやくこい、お年寄りのなかにはそう願っているひとがおおくいるのではないか。とにかくさむいのは困るからであり、そんなことをいっていたら北国にはすめないのだけど。カゼ気味であることがなかなか解消しないし、家のなかでも厚着をしてマスクまで欠かさない。もちろんストーブをつけることがないからかもしれない。

それでどこまでも歩けあるけであったのが、ちょっとちゅうちょするようにもなって自転車にものったりする。たんに散歩ではなく用事であったりしたら、なにしろそのほうがらくなうえに時間が3分の1もはやくかからないからである。べつに跳んだりはねたりできなくてもそれが年相応なのだろう。

なにかあると川柳を引きあいにだすのは気がひけるけど、けさの新聞に「こけてから大丈夫かと聞かれても」というのがあった。こんな句のどこがということもあり、いかにもありきたりのことで、こんなシーンはよくあることだからでもある。でもなにかしらこころに引っかかるのであった。

というのもこけるまでにいたらなくても、ふらついたりよろけたりすることはよくあることであり、こうしたことはひとごとではなく日常茶飯事のことでもあるからである。それにもとより大丈夫ではなかったがゆえにこけたのであり、大丈夫でないのは見てもわかりそうなものなのに、それをあえて聞きただすとはとグチっているようでもある。

ひとくちにこけるといってもいろんなケースがあるのだろう。ことによったら救急車を呼ぶような状況かもしれないし、しばらくすればなんともなく立ちあがれるようなこともある。だれしも足腰がことのほか弱ってきており、こけるたびに大さわぎしていたらあちこちに交通渋滞がおきるようなことにもなりかねない。

それにへんにかばってからだを痛めることもあるのだし、受け身のようにこけることで身を守ることもあり、見かけだけではわからないこともおおい。だからこそふつうは「大丈夫か」と声をかけるのであり、たいがいは大事にいたらないことがあって、たまにまた深刻な状況であったりするのだろう。

いずれにしても、気づかって声をかけてもらえることほどありがたいことはない。自業自得だから無視されてほおっておかれても文句はいえないのである。あるいはなにかのとばっちりでけり倒されてのことであるやもしれず、へたにかばってもらったり、同情されることなど期待しないほうがいいかもしれない。

それにいちいちこけたぐらいで気落ちしていたら身がもたないし、やたらこけることでこそりっぱなお年寄りといえないでもない。そのたびに立ちあがればすむことであり、かりにころんだままで座ったままでいてもいっこうかまわないことでもある。というのもまだまだ身のほどしらずであるからなのだろう。

転んでもただで起きるなだれがいう

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