ヒフティー

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4月から新年度になるということもあって、テレビなどにしても新しい番組がはじまったり、リニューアルしてあらためてスタートすることもある。それでいつも一日のはじまりである朝、ほぼ習慣的にNHKの朝ドラをみている。前回よりさらに時代はさかのぼって明治の初期のころのドラマのようだ。

年貢の取りたてもきびしく、貧しさのゆえに子どもも働き手のひとりにくわえられ、学校にかようこともできなかったりする。それでもなんとか学校に行くと、先生はみんなに紹介したあと、その子の席のところに案内して、机をたたきながら「ここにすわりなさい」という。

すると子どもはいわれたとおりに机のうえに正座、すると大笑いがおきる。普通はイスにすわるところを、先生のことばをまにうけて机のうえにすわったのである。あたりまえのことであっても、よく考えたらそうでないこともよくあったりする。さすがに先生もとがめることができなかったようだった。

その後、子どもは西洋かぶれのお父さんのたっての願いから、東京の女学校に転校することになる。それで教室で最後のお別れのさい、はじめのときのようにクラスのみんながそろって机のうえにすわり、それぞれ声をかけて見送ることになる。その場面をみていてどういうわけか、久しぶりに涙腺がゆるんでしまった。

それがどうしてなのかよくわからない。とくべつ別れをおしんでの感傷を演出しているようにもみえないし、あえていえば常識にとらわれない机のうえにすわるアクションからだろうか。あるいはひとりの子どもの突拍子もない行為に、ほかの子どもたちもそれに同調したということにあるからだろうか。

ぜんぜんべつの話題になるけど、フィギアスケートの浅田真央選手がインタビューでヒフティーヒフティーと何度かいっていて、そのことばがよほど好きであるようだった。現役をつづけるか引退をするかの判断についてのコメントであるけど、あんいに白黒をはっきりしないのも社交術のひとつなのだろう。

それとはべつに、ものを分けあうにしてもできるだけ半分はんぶん公平でなければならないし、なんにしてもほどほどということもある。たとえばなにかで交渉したりすることでも、49と51で1パーセントは相手側にゆずることでうまくいくともいう。はっきりと数字に表れてのことであったらの話である。

ともあれ、天秤のようにうまく釣りあってこそということでもある。極端であるけど、生きていくうえで喜びとともに悲しみも享受することがあって、両方のかねあいがひとを左右するのだろうか。深海に沈んでいくようなふかい悲しみもあれば、一方喜んで天にものぼるような気持ちといったりもする。

はからずもひとを押しのけわれ先に

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