行く先

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最近方向感覚がにぶってきたのだろうか、道に迷ったりしてあ然とすることがよくある。よくなじんでいる街中のながめをときにちがった方向から見たときに、まるで知らない街にやってきたような錯覚をおぼえることもあったりする。痴ほうが混じってくると、こうして迷子になるのかもしれない。

入院している知人を見舞うために大阪に出かけることになった。なんでも病院は地下鉄の谷四で降りたらすぐにわかるという。ということは東梅田から乗ればいいのだ。切符を買ってホームに立ったら行きさきが反対方向だった。それで階段を上り下りするのだけど、いっこうに向こうにわたれない。

仕方なく改札にもどって「反対のホームに行きたいのでけど、どう行けばいいの」と少し腹立たしい気持ちになって聞く。なんのことはない、行きさきの方向によって改札口が別々になっていたのだった。これではよほどローカルな田舎の駅とおなじではないか、まさかという思いこみが先行したのだ。

10数階あるようなとても大きな病院だった。地下を上がったところに地図があってすぐに見つけることができた。病状は深こくなことでもなかったので、30分ほど雑談をしておいとまをする。ところがきたときとは反対側に出てしまって、また迷うことになる。なんと病院の正面玄関のつくりと、うらの方の玄関のそれが見分けがつかないほどうり2つだった。

話は全然かわるけど、次のつぎのオリンピック開催が日本に決まって日本中が喜びでわいている。新聞でもテレビでもオリンピック誘致が成功したという話題が一色に埋められているようだった。たしかにオリンピックの開催地となれば日本の国が世界中から注目されることになるのだろう。

でも一方では、そうしたさわぎを冷ややかに受けとめている人も少なくないのではないか。「しもじもにはあずかり知らぬことでござる」と昔の人だったらそういったかもしれない。なにしろ、東京といえば今では大阪からでも1時間ではあるけど、その昔だったら1か月の道のりだった。

今なら電話やテレビやネットでどんな小さな事件でも瞬時に広まるけど、ほんの少し歴史をもどすだけで隔世のことであったのだ。いかに重大なことが起きたとしても、しばらくしてやっとうわさにのぼることぐらいだったのだろう。それを逆にいうなら時代錯誤ではなく、東京でも地球のうら側でもさして変わらないことにならないだろうか。

それに歳月がいくら過ぎようとも東日本大震災の悲嘆は消えることはなく、原発汚染水の漏えいが深刻であるうえ、今なお30万にちかい人が避難生活をしいられている。浮かれている場合ではないといった声もあるし、老いさきがかぎられている年寄りには、7年さきなど知ったことでないというのが本音かもしれない。

心配無用のGPSとやら

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この記事へのコメント

noga
2013年09月11日 20:18
日本人は、グランド・デザインとか、マスター・プランといった言葉には馴染みがない。
その内容を持たないからである。
未来のことは、未来時制で語らなくてはならない。
だが、日本語には時制はないので、未来時制もない。
だから、日本人には、未来のことは語れない。

文章がなければ、つじつまの合った話はできない。
未来時制がなければ、未来の内容に辻褄を合わせることはできない。
だから、日本人には、グランド・デザインとか、マスター・プランといった言葉は不要になる。
現在時制の文章で未来の内容を語ったら、それはこの世の真っ赤なウソとなる。
うつつ (現実・現在) を抜かした話となるのである。だから、誰も信じない。鬼も笑いだす。

辻褄の合った未来の内容は哲学になる。理想は、子供には無理な勉強内容である。
辻褄の合わない未来の内容は空想になる。空想は、子供にでも楽しめる内容である。
英米の高等教育は、我が国においては発達しない。だから、大学の程度も低い。
だが、漫画・空想の類は発達する。世界に羽ばたく産業になる。

空想ばかりでは、真面目な人間にはなれない。
神頼みばかりでは、信頼できない。信なくば立たず。
世界の指導者としての期待に応えるよう、準備をしようではないか。
我が国が、さらに良い国になることは、目に見えている。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/



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