大往生

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雨があったあとずいぶんとしのぎやすくなった。といっても平年よりもまだまだ暑いのかもしれない。それに今朝あたりからセミの声が聞かれないようだ。セミというと道ばたで転んでいるのをよく見かけることがある。ゴミを拾うように集めている人を見かけることもあった。

なかには手にとると、元気よく飛んでいったり、足を動かしていたり、ジージー鳴きだすなどまだ生きているセミもいる。もちろん多くは死んでいるとしても、人に踏まれたり、車にひかれたりしてはあまりに無惨である。それにしても多くの生き物とちがって、その死にざまを公衆にさらすというのもめずらしい。

セミの気持ちがわかるはずもないけど、あるいは断末魔の苦しみのすえのはての姿だろうか。それともあまりの喜悦のきわみでの昇華の現れであるのだろうか。どんな死であっても普通だとひっそりと消えていくようなのに、まさにその逆をいくような死にざまでもある。はたまた大往生かポックリさんの理想型であるのかもしれない。

セミのことはさておき、クスリの新聞広告だろうか、まだ中高年とおぼしき男性がふたり、上半身はだかの写真が写っている。どうやら、おなじ年齢であっても生活習慣とか日ごろの心がけで、こうも体つきとかに差が出るということのようだ。でもよく見てもどっちがどっちなのかわかりにくい。

たしかにひとりはスラッとしてスタイルもいい。もうひとりはいくらか腹が出ているけど、胸は鍛えられていて洗たく板のようである。どうも良いわるいの格差というより、体型のちがいのようにも見える。よくある使用前と使用後ほどに両方のちがいがはっきりしない例かもしれない。

これでは多少のクスリの効果があるとしても、本人の体に対するとり組みしだいでどうにでもなるといっているようでもある。というか体型にしても、以前のように筋肉質でがっちりした体格が理想ではなくなってきたのだろうか。多少弱々しくあってもいい、力強さよりなにより、美形であることが好まれるのだろう。

なんでも保育園での調査では、ほかの子に親切にすると、なんとその10倍もの親切がべつの子からも返ってくるという。もともと幼い子どもの内には無邪気でやさしい心がいっぱいつまっているのだろう。それが大人になるにつれ失われていくのだろうか。子どもを手本に振りかえることもあっていいのだ。

セミとはなんの関係もないことになったけど、その生きざまや死にざまで考えさせられることもあるはずである。生きるにしても死ぬことにおいても、見かけはともかく、いつも美しくあって、またやさしい心を求めていることであるのかもしれない。いずれにしても、うら返ったセミのしかばねは人ごとではない。

昆虫の食通には願ったりかなったり

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