体罰

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少し前まではいじめが大きな社会問題になっていた。それが今度は体罰、あるいは暴力が大騒動になっている。どちらも自殺者が出たことで共通しており、そうでなかったら今ほどに物議をかもすことはなかったのだろう。

いじめにしても体罰にしても根は1つなのかもしれない。ちがいといえば、前者が子ども同士であったのに対して、後者は部活において教師が関わっていることである。中学生と高校生でちがっていることもある。

もともとひとくちに体罰といってもある程度、教育的な観点から容認される向きもあるにちがいない。親にしても、もはや手に負えなくなったわが子を、学校できびしく鍛えなおしてほしいという一面もあるのだろう。

多少の体罰もやむ得ないということがあるかもしれない。それがエスカレートするのだろうか。まさかどう猛な動物を調教するようにムチで脅かすことはないだろうけど、竹刀やこん棒などが使われることがあるようだ。

もちろんゲンコツや平手で打つこともそうだし、大声でどなることにしてもれっきとした体罰に匹敵するのだろう。なによりそれを受ける側にとっては精神的な屈辱、そのダメージの深さははかりがたい。

なんでも体罰は連鎖するらしい。そんな環境で育った子どもは、親になると同じように子どもに暴力をふるうともいう。スポーツ名門校の部活においてはしばしば、きびしい体罰が伝統的に受けつがれて習慣化しているようだ。

DVなどにしてもそうであるらしい。以前に虐待を受けたつらい経験があると、普通は同じことを他者には味あわせたくないと思うのではないだろうか。それがそうではなく、同じことをくり返すのである。まるで復讐でもするように。

もとより体罰が認められるとしたら、道徳的なことに関わってのことであったはずである。人の道に外れた不正や罪があるとすれば、たとえそれが幼い子どもであっても、きびしく訓戒されなければならないだろう。

ともあれ、体罰と自殺の因果関係が問われてもいる。そのくわしい実態や経緯を知らないでいたずらに論じることはできない。ただ、糾弾されているような体罰であれば、いかなる釈明も通用することはないだろう。

すくなくとも大人であっても子どもであっても、ひとしくひとりの、それぞれ尊厳きわまりないたっとい存在であることである。いかなる理由があっても、上段にかまえて無防備な相手を打つことなどできることではない。

代わって我が手を打ちたたいた人も

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