エンディング
毎朝ラジオ体操があって近くの公園に行く。ところがこの頃はほとんど毎日、打ち上げ花火などの燃えかすが散らばっている。夏はまだずっと先だというのに。
それとも花火はもう季節に関係のない遊びになっているのだろうか。それにしても公園に隣接しているお家は大迷惑だろう。少し離れていても聞こえてくる。
夜遅くまでバンバンという花火の音とともに、キャーキャーという騒がしい声がするのだ。もちろん後しまつなどするはずもなく、空き缶なども転がったりしている。
時間もわきまえずに、さんざん騒いだあとにゴミまで残していく。破廉恥きわまりないといったところで通じるはずもない。とくに大ぜいだとモラルも低下するのだろう。
ところで全然別の話になるけど、テレビでエンディングノートの特集をやっていた。残った人に迷惑をかけないように、個々の人生の後しまつに関してのことになるのだろうか。
いずれはというのでなく、元気なうちに書いておくのだそうだ。緊急のいざというときのために、病名の告知とか延命措置をするとかしないとかといったことらしい。
葬式にしても今はいろんなやり方がある。たしかに、あらかじめ本人の希望をしたためている方が、あとあとスムーズに運ぶにちがいない。見送る立場の子どもからは聞きにくいことでもあるからだ。
それにしても人それぞれなのだろう。個人的にはあまり気のすすまないトピックスでもある。おおむね答えは出ているのだし、その場でもう本人が口だしできることでもない。
それこそ始末がいいように身近な人に任せるほかないのだ。遺影の写真がどうのとかはどうでもいいことだし、そもそも葬式など死人にはあずかり知らないことでもある。
というのも義母のお葬式があったばかりだった。その日の前夜も苦しみながらも口もきけたし、トイレにしても最後まで自力でだれの世話にもならなかったのだ。
ただひとり、身内にも面倒をかけない気づかいを最後まで貫いたようだった。身辺の持ち物にしても簡素で、まさに立つ鳥あとを濁さずだ。はたして真似ができるだろうか。
必ずと分かってはいても
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